詩の源郷 大正六、七年の原石鼎

 『原石鼎全句集』を繙くと、大正元年から大正二年にかけての所謂「深吉野時代」に佳句が多く、人口に膾炙している。


鹿垣(しヽがき)の門鎖し居る男かな 石鼎「ホトトギス」大正元年十二月号

空山へ板一枚を荻の橋

頂上や殊に野菊の吹かれ居り

山川に高浪も見し野分かな

山の日に荻にしまりぬ便所の戸

鉞(まさかり)に裂く木ねばしや鵙の贅


 虚子による「ホトトギス」雑詠欄再開の情報を得た原石鼎は上記の句で華麗に「ホトトギス」に登場し、虚子にして「豪華、跌宕(てっとう)」と言わしめた。


蜂の巣を燃(もや)す夜のあり谷向ひ 石鼎 大正元年

山畑に月すさまじくなりにけり

かなしさはひともしごろの雪山家

爆竹や瀬々を流るゝ山の影 大正二年

山国の闇恐ろしき追儺(ついな)かな

谷杉の紺折り畳む霞かな

虎杖(いたどり)に蛛の網(ゐ)に日の静かなる

風呂の戸にせまりて谷の朧かな

花影婆娑と踏むべくありぬ岨(そば)の月

高々と蝶こゆる谷の深さかな

石楠花に馬酔木に蜂のつく日かな

提灯を蛍が襲う谷を来(きた)り

山の色釣り上げし鮎に動くかな

杣が幮(かや)の紐にな恋ひそ物の蔓

蔓踏んで一山の露動きけり

淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守


ここを作句の第一のピークとすれば、第二のピークは働いていた「ホトトギス」を退社し、「ホトトギス」同人制実施により同人となり、結婚する大正六年から大正七年ではなかろうかと思う。この時期は「深吉野時代」の濃彩と比較するとやや淡彩で繊細な佳句が多いのだが、一般的には知られていない句も多い。写生の中に主観と客観が入り交じり、過敏で子どものような素直さと老練のごとき措辞の巧みさが交差する石鼎らしいバランスはこの時期をみるとよくわかる。

具体的な句を見てみよう。


月かけて山河とよもす雪解かな* 大正六年

金屏に灯さぬ間あり猫の恋

昼ながら月かゝりゐる焼野かな

曇日(どんじつ)に木瓜震はせて蜂這へり

松陰の這ひゐる月のつゞじかな*

大鯉の押し泳ぎけり梅雨の水

濤声に簀戸(すど)堪へてあり鮓の桶

短日の梢微塵にくれにけり


一句目、「とよもす」とは「響もす」と書き「響きわたる」という意味。「山河」と大きく捉えたことで雄大な普遍性を帯びた。二句目、闇の中にも「金屏」の華やぎがあり、ほのかな諧謔味がある。三句目、「昼ながら」という主観が句に迫力を与えている。四句目、「曇日」という灰色の下地が活き「木瓜」とそれを震わせて這っている「蜂」の色彩が鮮やかに浮き出て見える。五句目、「月の」は「月光に照らされている」くらいの意味であろうが、「月」という特性を「つゝじ」が有しているような風合いであり、石鼎の特徴ともいえる俳諧的措辞である。六句目、「押し泳ぎけり」に重量感があり、「梅雨の水」の揺らぎを感じさせる。七句目、「濤声」に「堪へてあり」が大胆な主観。「鮓の桶」の大きな桶が匂い立つさまが巧みに取り合わせられている。八句目、「微塵に」暮れるという把握が細部まで感覚が行き届いているようである。


初空や宮灯らねば只の山* 大正七年

下萌や籠鳥吊れば籠の影

椿掃きし瞳に蕊の輪や弥生尽

でゝ虫の腸(はらわた)寒き月夜かな

夕立涼しと見る手を欄に闇を見る*

でゝ虫に昼夜相追ふ日と月と*

電線に映る灯のある夕立かな*

短日やいつまで澄みて暮るゝ空

菊剪つて火にかざし見し火鉢かな*


一句目、「灯らねば」と否定と仮定で押し進め、「灯る」情景と「灯らぬ」情景とが両方脳裏に浮かぶ。二句目、意識が「籠鳥」という生物から「籠の影」という無機的な美しさへ滑らかに移る。三句目、過敏な感覚による発見。微細で見えるか見えないかという物をクローズアップしてくるところも石鼎の特徴である。四句目、蝸牛の「腸」とはどこにあるのだろう。蝸牛に内包されるそれが月光に透けるように冷えている。五句目、「見る」「見る」と重ねて最初の「涼し」と感じたものの景色を「闇」で打ち消す。「欄」の確かな手触りだけが残る。六句目、「昼夜相追ふ日と月と」というやや観念的な把握を「でゝ虫に」と対象に接着することで永遠性を獲得した。蝸牛の殻の渦と月日の運行の近似性が活きている。七句目、「夕立」の暗さの中の小さくか細い一灯。誰も見向きもしないところを感覚を澄ませて見ている。八句目、長い時間をかけて対象を見つめた叙情。「短日」の日暮の空の中に「澄みて」いる長いひとときを見いだす。九句目、「菊」が「火鉢」の「火」に透けて造形的な美しさがある。繊細な詩心が垣間見られる。

その後の石鼎は「鹿火屋」を創刊して円熟期を迎え、大正十三年頃に第三のピークを迎えるように思うのだが、ここでは紙幅の関係で詳しく書かない。濃彩な「深吉野」時代を経て、虚子の推奨した「客観写生」を取り入れながら独自の感覚の鋭敏さを研ぎ澄ました作風は、後に水原秋桜子、高野素十、阿波野青畝、三橋鷹女、永田耕衣など多くの俳人に評価されることとなった。


[注釈]*は『原石鼎自選句集 花影』に入集していない句。表記は『原石鼎全句集』に依った。

[参考文献]

平井照敏編(一九九三)『現代の俳句』講談社学術文庫.

岩淵喜代子(二〇〇九)『評伝 頂上の石鼎』深夜叢書.

原石鼎(一九九〇)『原石鼎全句集』沖積社.

原石鼎(一九三七)『自選句集 花影』改造社.

高浜虚子(一九一八)『進むべき俳句の道』実業之日本.

小室善弘(一九七三)『俳人原石鼎』明治書院. 

小島信夫(一九九〇)『原石鼎-二百二十年目の風雅』河出書房新社.


(初出「らん」83号、2018 転載に当たって加筆修正)


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