生きかはり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城 農作業を描いた句である。現代的には、職業の選択可能性は開かれたが、代々の田を守り続ける農家も少なくない。〈生きかはり死にかはり〉という把握が、「田を打つ」という肉体を過酷に使う労働に、人間一代を超えた永遠性を宿らせる。また、輪廻転生の趣もあり、永遠に働き続ける主体が刻み込まれている。 「働く」という行為の本質は、〈生きかはり死にかはり〉して未来につなげていく機能なのかもしれない。 短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまおか) 竹下しづの女 育児がケア労働であることは、近年では周知されつつあるが、殆どの場合は賃労働から周縁化され、責任が個人化される。「望んで産んだのではないか」という自己責任論は、母となった人を追い詰める。〈須可捨焉乎(すてつちまおか)〉という叫びは反語的に響き、決して捨てられない現実を訴えている。労働をやめる権利が、「母」という倫理のもとに排除される現実に対して嘆きの声は、現代においても強く共感を呼ぶ。 大金をもちて茅の輪をくぐりけり 波多野爽波 波多野爽波は銀行員であった。〈短夜の金のやりとりしてをりぬ〉〈金包み受け青柿の下を辞す〉など、大金と思われる状況をリアルに句に残している。掲句では、「茅の輪くぐり」という神事に、大金という俗世界のモノを持ち込む作中主体が描かれる。 貨幣の価値は、国が保証し、皆がそれを信用しているからこそ成り立つ。掲句が爽波自身の大金でなければ、それを託している人間の信用も存在するだろう。働くことと信用の密接な関係が感じられる句だ。 座敷著を今日は暑しと思ひ脱ぐ 下田實花 下田實花は山口誓子の実妹。四歳で母を亡くし、歌舞伎の尾上梅昇の養女となり、次に下田家の養女となり、養父没後には十五歳でお酌となって下田の母を養なった。昭和十年に虚子の許で俳句を始め、昭和二十年には「ホトトギス」同人となった。三菱地所の赤星水竹居(あかぼしすいちくきょ)が東京新橋で芸者に俳句を広めようとした際に、そこで芸者をしていた實花が一役を買った。 新橋での句会「二百二十日会」で出句された俳句を高浜虚子が選をした『艶寿集』を繙くと、芸者達の働く姿を垣間見ることができる。〈著ぶくれてゐて三味線の弾きにくき 小時〉〈虫干や色とり〴〵の舞扇 小くに〉。集中の俳句には労働の過酷さは描かれず、表向きの